エッセイ
されこうべの作り方
浜いさを
| 素材としては市販の紙粘土、石塑類などの袋を開ければすぐに使えるものが気軽で便利です。ただ紙粘土は収縮率が高く変形しやすいので、乾いてから細いところが壊れやすいという欠点は少しありますが、どちらかといえば仕上がりのきれいな石塑が良いと思います。 私は桐のおがくずの細かいのと《しょうふ》という小麦の澱粉を固めの糊にしたものを混ぜて、粘土状にしたもの《桐塑》を使っています。しかしこれは普通手に入りにくいし、作業も少々難しくなるし、何よりも私自身があまり教えたくないと思っているので、「フォルモ」などという商品名で売っている石塑を画材屋さんで求めましょう。 このとき、一緒に木製の粘土ベラと仕上げに使うされこうべ色のアクリル絵の具も買っておいてください。 あとぜひ用意していただきたいものとして、なぜ自分がされこうべを作るのかといった気持ちの整理です。家族などに「何でこんな気持ち悪いものを作るの」などと言われたときのために、これはぜひ必要なものです。これは画材屋では売っていませんから自分で作りましょう。自分にとっては意味があり、かつ快適であっても相手にとっては不快などということは日常茶飯のことですから。そんなとき高邁で哲学的な識見をしっかり言い放つことができれば、相手のあなたを見る目が尊敬と畏敬の光りに満ちてくると思います。準備不足だとただの変人にされるだけです。されこうべを見てただ怖いというだけの人は、その表層にある死の状況しか見えなくて、実はそのことを見て考えている大事な脳を守っている生きいきとしたされこうべがあることをうっかり忘れているのです。 ところで頭の部分を一般にずがいこつと言っていますが、解剖学では頭骸骨と言います。頭骸骨は、人間が生まれたときには軟骨と膜組織からなる三十個近い骨でできていて、成長するにしたがってだんだん固い骨に変わっていくそうです。あなたが感性豊かな人なら、柔らかい素材が乾いて固くなっていく過程で命の実感が味わえるかもしれませんが、どうでしょうか。さっき、「生きいきとしたされこうべ」とは言いましたが、正確には風雨に曝されたりして白い骨だけになったものを「されこうべ」、あるいは「しゃりこうべ」というのです。髑髏とも言いますが、漢字が難しいので、こうしてワープロで仕事をするときぐらいしか私は使いません。 材料が用意できたらさっそく制作にとりかかりましょう。フォルモを入手したら両手でまず丸くまとめます。大きさとしては、今中年以上の人が田舎に疎開したときにひがんだ思い出がある、あのおむすびぐらいがいいでしょう。若い人には万事におおらかな母親がむすぶ大きさと言ったらわかりやすいでしょうか。ここでされこうべを作るのだという思いを精一杯込めて固く握りましょう。すると、自然にされこうべの形になってくるということは全くありませんので図鑑を見るか、すぐ作業をやめて上野の科学博物館に行きましょう。ついでにいろんな骨とも出合えます。 化石を調べると、人間の頭は古代からだんだん平たくなってきていて、歯も小さくなっていることがわかると言います。あごの突き出し方が少なくなってきているらしいのです。また現代に至るほどおりこうになっている証なのか、大きくなる脳を収めるために後頭部もだんだん丸みを増してふくらんできているということです。今に生きる私などよけいな情報ばかり入れて、その結果脳が発酵して飽和状態になっていることを自覚するばかりで、知能が進化したとはとても思えません。頭蓋骨が大事に守っているそんな私の脳でも容積は約千五百ccぐらいだそうです。願望が過ぎて後頭部をあまり大きくし過ぎても失笑を買うだけですから気をつけましょう。 中に空気が入らないようにしっかりと握りながら、適度に後頭部の張ったスリリングな流線型の輪郭にしておきましょう。 次に粘土ベラで目の穴(眼窩)を穿っておきます。大きくしっかりと開けておくと、仕上がったときに表情の豊かなものになります。されこうべをいかに生きているかのように作ることができるか大事なところです。昔からよく言われている「されこうべは目がいのち」という言葉の意味がよく理解されるでしょう。眼窩が開いたら鼻の三角の穴もここで浅く掘っておきます。鼻の先の方は軟骨でできているので、すでに消滅したのです。何も変な病気にかかったからなどと気にする必要はありません。みんなこの段階になったら穴だけがむなしく開いている情けないものになっているのですから。 大昔から頭蓋崇拝に関することはいっぱいあったようで、普通は人の頭骸骨を保存して祭司をする習俗らしいのです。祖先のものを祭るのはその霊を慰めるためでしょうが、生に対する畏敬の気持ちも込められているように、私には思われます。他人であれ、同じ人間としてその死の状況を直視することで自分の生に関する意識も生々しく生理的に感知するものではないでしょうか。未開の地などで行われていたという首狩りや戦争で得たものは死者が生前持っていた能力、霊力といったようなものを自分に獲得するものであって、頭骸骨はきれいに洗浄されて彩色をほどこしたり、粘土、貝殻などで装飾して保存されると言います。 英語のスケルトンには一般的に危険や死のイメージがありますが、調べると「どんなものでも開けられる合い鍵」という意味がありました。「小説のあらすじ」というのも書いてありました。「総合的な計画」も、すなわちドラマなのです。そして一人一人の体を支えている二百本あまりの骨、つまり骨格。この複雑で難渋な人の世で生き抜いてきた実績を持つだけに、骨にはいろいろな思いが込められているようです。 鼻の穴が開いたらこめかみに当たるへこんだ部分を少し削っておきましょう。そして、目尻の下の頬骨から耳に至る側頭骨といわれる部分、ここは細くて壊れやすいので気をつけましょう。鼻の下の歯ぐきにあたるところを作りますが、一本一本の歯は小さくて壊れやすいので、全部乾いてからつけた方がいいのです。だからそこだけ残して下あごを作ります。かみ砕いたりするエラといわれるところはしっかりと作った方がよさそうです。あごの先端はボクシングなどで強打されると、簡単にノックアウトされます。突然打たれると、振動が固いあごの骨を伝わってクッション役の脳膜の中にある脳を激しく揺さぶる。結果、意識を失ってあえなくノックダウンということになる。頭蓋骨の中には視覚、聴覚、臭覚、味覚の繊細な感覚を司る脳が大切にしまわれ、骨で守られていて、そこから体中に指令が走る。だから「どんなものでも開けられる合い鍵」というイメージが、ここからくるのかと思われます。そしたらなんと「他人に知られたくない家庭の秘密」という意味もあるとありました。これはどう解釈したらいいのか、私にはわかりません。 二年ほど前にわが家の庭に鳥の頭の骨が落ちていました。どうもカラスのものらしいと思っていたら二、三日たってまたもう一つそばに落ちていたのを見つけて、並べてみたらまったく同じ大きさで、奇妙なことに周囲にほかの骨がまったくないのです。羽らしい痕跡もありません。二つあったというのもミステリーじみています。今でも謎を解きたいと思うのですが、なにせ死鳥に口なしでどうにもなりません。ノラ猫に訊いたらわかるかなと思ったけど、私は猫が嫌いで庭に徘徊する奴に時々石をぶつけたり、声でおどかしたりするから口をきてもらえないのでそれは断念するしかないのです。鳥の骨にはできるだけ重さを減らすための工夫がこらされているようで、中ががらんどうになった骨が多く、強度を持たせるため管や箱のような構造をしているそうです。歯はすごく重いので、進化の過程の極めて早い時期になくなったといわれています。わが家にある鳥のされこうべも一ミリにも満たない細い線のような骨もきれいに残っていて、くちばしが槍先のように鋭く、また頭の全体が見事な流線型をなし、それが実に軽いのです。飛翔するという目的のために進化していく生命の不思議がここに見える気がするのです。歩くという人間として当然で単純な目的のために、私の体も早い時間のなかで進化し、軽くならなければと思う今日このごろです。 あごの形ができて全体がされこうべらしくなったところで、乾かすことになるのですが、乾燥を早めるためにここでむくの状態になっている中をくり抜いておきます。後頭部の下側に脊髄の入る直径一・五センチほどの丸い穴を開け、そこからヘラで外側を壊さないように静かに慎重に掘り出してください。後頭部で一センチほどの厚さにできたら上々です。穴はそのままきれいに整えておきます。中が抜けた状態で三日間、直日の当たらない風通しの良い場所に置いておきます。 西欧には今も昔も骸骨を描く画家は多いのですが、とりわけ中世から象徴主義に至る時代に骸骨の生き生きと活躍する姿が画面の中に数多く見られるようです。私の好きなジェームス・アンソール(一八六〇〜一九四九年)はベルギー象徴主義の一人ですが「アトリエの骸骨画家」や「骸骨としての自画像」などと題された画面のなかで、自らを骸骨として認識し、それを描くという稀有な画家です。画面のなかの骸骨は毅然とした風格を漂わせています。ボードレールの『悪の華』の挿絵を描いたフェリシアン・ロップス(一八三三〜一八九八年)もそのなかで、「踊る死神」といった中世のテーマといわれるものを引き継ぐようにモチーフに骸骨を登場させ、世相風刺といった形でストレートに表現しています。生命を個人的な運命のなかで認識するだけでなく、社会の構造の一部として描くという素養は、肉体表現にすぐれた西洋人の心身ともの骨太さを証明しているように思えます。 されこうべを作り続ける私の裏付けめいたものの一部を聞いていただいている間に、作りかけのものは完全に乾いたと思いますから、そこで歯を付けることにいたしましょう。成人した人間には上下三十二本の歯があります。それを上下に二分するわけですが、わざわざ虫歯を作ることもありませんから、欠けたり黒ずんだりしないようくれぐれも気を付けましょう。もっとも、不気味にしたかったり人生の重みをリアルに表現したかったら、歯にそのような細工をほどこすと効果絶大ではあります。されこうべに皺を付けるわけにはいかないのですから。歯がしっかり付いたら、乾くまでまた二、三日放っておいてください。乾いたら、サンドペーパーをすみずみまで丹念にかけます。 ここまでくると、あなたの感情が乗り移っていて、思わず作品に頬ずりしている自分に気が付くはずです。なぜならそれはナルシストの誉れ高いあなたの自骨像だからです。 磨き終わったら、されこうべ色を塗って出来上がりです。 |
一九三九年(昭和一四年)/本名 濱靖 旧満州新京生まれ 五七年/洋人形作家 水上雄次氏に師事 六八年/肺結核のため療養生活に入る 七一年/白い人形制作開始 七五年/ギャラリー銀座三番街個展「人形詩」 八四年/新宿ケニヤ画廊「人形美術六人展」 九三年/新宿 紀伊國屋画廊「世紀末のウイルス」版画展 九六年/六本木 ストライプハウス美術館個展 【主な著書】 エッセイ集『白い人形・白い言葉』きゃらばんの会 作品集『白い群れ』沖積舎 作品集『夢のあとさき』美術出版社 |
「テクネ」10号(1997年)掲載